狭い場所(卒業制作)

おそらく、私の全生涯の中で最初で最後の大作になるであろう、多摩美染織科時代の卒業制作である。私の作品の作り方といえば、今も昔もコンセプトは後付けである。なぜそれを作ったのかと問われると困ってしまうのだ。全ての作品を作った理由は一つで、「何となくいいと思ったから」の一言につきてしまう。企画書作りも大切な講議の一貫だったのだが、とにかく苦手だった。デザイナーという仕事を辞めたのもそこにあるのかもしれない。
この作品"狭い場所"の後付けしたコンセプトはこうである。「込み合った狭い場所の中では、親しい人の傍に近寄ることもできない。人々はしだいに苛立ち、周囲をおしのけ、ふみつけ、自分のことしか頭になくなってしまう。そして争い・闘争がおこり、心まで狭くなってしまう。そんなテーマに基づいて、自分なりにデザイン化した人物を用いて混乱した人々の気持ち・心の中を表現し、構成した。」となかなか立派な理由付け。でも本当の所はちょっと違う。
大学では、一年生で基礎デザインを学び、二年生から染め科と織科に別れて勉強する。私はそもそも織科希望だったのだが、人数的なバランスが合わなかったらしく、助手の先生に染め科に移る気はないかと勧誘されて、軽い気持ちで染め科を専攻することになったのだが、そこから私の狭い場所との闘いが始まったのだ。織科の場合はそれぞれに一台ずつの織り機があるので、自分の作業スペースがなくなるということはない。しかし染め科の場合は決まった場所は確保されていない。早い者順なのだ!
技法の練習での小作品を作っている間はなんとかなるのだが、一年に一度のコンクール前になると壮絶な(私の中では)場所とりが始まる。中にはまだ制作にとりかかれないのに、布をかけて場所だけ確保する姑息な人もいたが、なにせ小心者の私は毎回場所をとれるかドキドキだったのだ。だから人より早く制作にかかれるようにかなりの努力をしていた。

卒業制作は四年生の一年をかけて作るのだが、卒業後の就職も決めなくてはならないので、とにかく神経をすり減らした。初めに卒業制作の話しを聞いた時思ったのは、そんなデカイ作品作る場所なんてどこにあるのよ!絶対無理!ということ。与えられた作品のサイズは2m×4m。私はそれを鵜呑みにして、とにかくさっさと内定を貰って、卒業制作にとりかかれるようにしないと場所がなくなる!と就職活動を始めた。内定は夏休み前には貰うことができ、一社目で決めてしまった(それがその後の私の人生にこんなに関わってくることになるとは・・・)。おかげで残りの大学生活は卒業制作に打ち込むことができた。とにかく大きい作品だった為、下絵を書くのも一苦労で、模造紙を何枚もつなげた下絵で、六畳の私のアパートの部屋は一杯

になった。大学の狭いアトリエでも、一人で作品を広げることはできない為、作品を三っつに分け、一つ染めては壁にたてかけ、という作業を繰り返し、なんとかみんなの修羅場の前に完成させることができた。作品を張り込む為のパネルも、材木を人から安く譲りうけ、真冬の寒ーいアトリエのテラスで手作りし、全ての努力は最後の講評会にてむくわれたのだが、この"狭い場所"には場所確保なんていうつまらないことに悩むことなく、作品作りに取り組みたい!という、大学への密かな抗議の意が含まれていたことは、誰も気付かなかったようだ。
"狭い場所" 1990 200cm×340cm 蝋・糊併用手描き染め,シリヤス染料,麻