![]() |
鼻が悪かった時のお話今年はスギ花粉がすごいらしい。すでに花粉症の人は悪化!花粉症でない人も、今年発祥してしまう可能性があるらしい。一日中鼻がダラダラは辛い!鼻のかみすぎで鼻の下はヒリヒリ、集中力も低下する。夜は口での呼吸になってしまう為、喉まで痛くなる。私は花粉症ではないが、その辛さはよ〜く分かる。なぜなら十数年前まではものすごくひどい鼻炎、副鼻腔炎(別名・蓄膿症)だったからだ。 |
|
発症したのはまだ十代、高校生の頃だ。入浴後、髪を拭いていた時だ。右の鼻から、ポタっと雫が落ちた。感覚から鼻血がでたと思ったのだが、それは鼻血ではなく、透明なレモン色の鼻水だった。「な、なんじゃこりゃ〜」ってことで、初めて耳鼻科のお世話になることに。初めての耳鼻科はそれは辛いものだった・・・。長さ20cm程の、先に脱脂綿を巻き付けた針金のようなものを、ぐいぐい鼻の穴につっこまれる!!そんなに入れたら、脳みそまで突き刺すのでは?というほどだ!診察の結果は、アレルギ−性鼻炎ということで、飲み薬と鼻の中に直接スプレーする薬を処方された。薬が利いているとは思えなかったが、その初めての診察があまりにショックで、その後通院することはやめてしまった。それが私の鼻づまり生活の始まりとなった。 それから鼻炎は少しずつ進行してゆき、大学に入る頃には私の右の鼻は全くダメになっていた。鼻をすすることもできなければ、かむこともできないのに、鼻が垂れてくるといった状態!今考えると、そんな状態でよく受験を乗り越えたと感心してしまうが・・・。家での課題製作は、鼻にティッシュの紙縒りを詰めての作業となった。大学一年の時、一日のみのプールの授業があった。クロールで25m泳ぐことができれば良いものだったのだが、クロールは水の中で鼻から息を吐き出し、息継ぎの際に口で息を吸わなくてはならない。口で吐いて口で吸うと、どうしても間に合わず水を呑み込んでしまうのだ。片方の鼻が完全に使えない私には絶対に無理。その場はなんとかごまかしたのだが、やっぱりこのままではマズイ!ということで、二回目の耳鼻科通院を決意した。 二件目の病院は、当時住んでいた東京都日野市の市立病院だ。だが、その病院には一度しか行く事はなかった。というのも、私の鼻炎はかなりひどく、手術をしなければ完治できないとのことで、設備のある病院を紹介してもらうにとどまったからだ。紹介された病院は隣街の総合病院、X病院だ。ここで私は一回目の手術を受けることになった。 X病院の耳鼻咽喉科は、優秀なお医者様がいらっしゃるとのことで、多摩地区では有名らしく、毎日恐ろしい程の人が訪れていた。診察を受ける為に、二時間待ちはあたりまえ。その上、総合病院の為、薬と会計に更に二時間待つ!といった感じで、病院の日は一日がかりだ。診察の結果は鼻腔に鼻茸というポリープが出来ている為に、中に溜まった鼻水が排出されずにいるということで、ポリープの切除と鼻腔内の悪くなった粘膜を骨から削り取るという処置をするという。蓄膿症の手術といえば、唇と歯ぐきの間を切り、そこから手術をするというのが有名だが、私の場合、そこまでひどくなかったのか、鼻の穴からの手術となった。手術は部分麻酔になったのだが、それが悪夢の始まりだった。 まず、手術直前に肩に物凄く痛い筋肉注射をされ、その注射があまりに痛く、体がだるくなるため、私の手術に対する恐怖心がいっきに高まってしまった。手術室では手術台にベルトで縛られ、手を動かせないよう、手も固定された。そのうえ目隠しだ!怖くて怖くてしかたがない!そんな状態で手術がはじまったのだが、部分麻酔のため、ほとんど麻酔は効かず、ゴリゴリと骨を削る音が頭中に響き、顔の中でものすごい痛みがはしる。当時私は二十歳になっていたのだが、あまりの痛さに我慢できず、手術中に泣いてしまった。痛さに泣くなんて、子供の時以来だ。そんな時に看護士さんの「泣いても終わらないんだから!」と厳しい言葉。そのいじわるな言葉にまた号泣!あまりの恐怖で、医者も看護士も、みんな敵に感じた。約一時間後、手術は終了したが、手術の腫れに泣いた為の腫れが加わり、次の日には顔がパンパンに腫れてしまった。 鼻の穴からの手術の為、当然縫うことが出来ないので、代わりに鼻の中に大量のガーゼをパンパンにつめての止血となる。入院中は毎日そのガーゼを詰め替えるのだが、それがまた気持ちが悪い。鼻から脳みそを引きづり出すような感覚。退院後もX病院には二年程通院した。退院後の治療は薬剤の吸入や水を鼻から入れて、口から出すという鼻腔の洗浄などだ。そんな辛い思いをしたにもかかわらず、治ったかな?と思えた期間はとても短く、私の鼻炎はまた再発してしまった。 二度目の手術は社会人になってからだ。初めに入社したM社の上司の紹介だった。上司の弟さんが手術し完治したとかで、とても良い耳鼻咽喉科とのこと。藁をも掴むおもいで、行ってみることにした。その病院が私の鼻づまり生活を終わらせてくれた「神尾記念病院」である。神尾記念病院は耳鼻咽喉科の専門病院で、東京都心の千代田区淡路町にある。JRお茶の水駅や地下鉄からのアクセスもよく、当時住んでいた埼玉からの通院も苦ではなかった。人気の病院にもかかわらず、診察までの待ち時間も短く、病院も明るい雰囲気。待ち合い室の床下の一部はガラスばりになっていて、中を鉄道模型の電車が走っていた。 二度目の手術もやはり鼻茸切除と副鼻腔炎の手術となったが、大きく違ったのは、全身麻酔を使うというところだ。副鼻腔炎の手術は大人の男性も悲鳴を上げる程の痛みを伴う為、安全に手術を試行させる為だということだった。20才の子娘が号泣してしまうのも無理はなかった訳だ。手術の前に細かく健康状態の検査を受け、麻酔専門医から全身麻酔の説明を受ける。今考えれば全身麻酔を使うのに、両親も友人も呼ばずに一人で手術を受けるなんて勇気があったな〜なんて思うのだが、一度目の手術が手術だったので、全身麻酔を使うということへの不安は全くなかった。 手術の前に筋肉注射をするのは前回と同じだが、手術はあっと言う間だった。麻酔のマスクをして、ゆっくり5秒をかぞえるうちに眠りに落ちた。気が付いたのは、病室に戻る直前だ。「アベさん!アベさん!終わりましたヨ!」と看護士さんに起される。無痛の手術だった。二度目の手術は唇と歯茎の間を切開しての手術だったのだが、溶ける糸を使用している為、抜糸もない。手術後、退院後もしばらく右頬は麻酔が効いていて、全く痛みのない手術となった。ここの病院は病室も完璧である!床暖房もさることながら、全てのベットにTVが付いている。耳鼻咽喉科の専門病院ということもあって、重病人がいないこともあり、食事も病院食を感じさせないメニューだった。神尾記念病院は友人にも紹介したのだが、彼女は退院する際、入院生活があまりに快適なのと、同室の方との別れが悲しくて思わず泣いてしまったとか。 神尾記念病院退院後、一年程通院したと思うが、その後は再発することなく、鼻づまり生活とは完全に別れをつげた。病院によって、その技術や設備がこうも違うものかと実感した出来事だった。 良い病院を見つけるのは難しい。医者からの紹介は、病院同志の繋がりなどが関係してくるようだし。やはり同病を患った人の口コミ情報が一番だと思う。今でも私はM社に入社したのは、鼻を完治させる為だったと思っているのだ(^.^;) 2005.1.23 |
||
|
||