母の死

前回の更新から、気づけば5ヶ月もたってしまった・・・。今年は本当に大変な、悲しくて寂しい年となってしまった。
8月7日金曜日、午前1時8分、大腸癌で3年間闘病していた母が亡くなった。78歳の誕生日を迎えたばかりだった。翌日8日の夜、13年間生きた家の年寄り猫のメグも、まるで母のお供をするように死んだ。

前回の日記にも記したように、最後の頼みの綱だった抗癌剤の新薬の副作用が強すぎて、投与を断念したときから、母の余命がそれ程長くはないことは医師より聞かされていた。
きれいにリフォームした部屋が、御葬式の為だけの部屋にならないように、急いでやってもらわなければね!などと冗談で言っていたのに、きれいな部屋で母がすごすことができたのは、わずか3週間だけだった。
病院から退院の勧めを受けた時点で、母自身も自分がもうあまり長くは生きられない事を覚悟はしていたと思うのだが、口癖のように「死ぬ気がしないんだけどね〜」と話し、病院からはリハビリはしているものの、一人でのトイレはおそらく無理で、寝たきり状態での退院になるだろうと聞かされていたのにも関わらず、母は一人でトイレに行けるまでにリハビリを頑張り、退院の日も、ベッドではなく車椅子での退院となった。

退院後は在宅のホスピス専門病院の訪問看護を受け、週1で医師の往診を受けた。ホスピスの医師の話しでは、余命は長くて3ヶ月とのこと。ホスピスの治療としては、痛みをやわらげ、確実に死に向かっている患者が、できるだけ痛みや恐怖のない死を迎えることができる為の手助けといった感じで、話しを聞いたとき、言葉が悪いが、まるで死神に会ったような恐怖を感じ、正直退院させてよかったのかと後悔した。
病院に入院時の治療として、物を食べることができないかわりに、かなりの高カロリーの点滴をしていたのだが、高カロリーの点滴は、もはや栄養を受け付けなくなっている体には負担が大きく、それは癌の栄養となり、痛みと死の際にかなりの苦痛を感じることになるとのことで、退院してからは、母の体力に見合う量の栄養摂取の為の点滴に切り替えた。確かに入院中ずっと訴えていた痛みは消えたのだが、それによって母は寝たきりになってしまった。
退院の為に、あんなに頑張って歩けるようになったのに、急に立ち上がれなくなり、トイレもお風呂も他人の手を借りなくてはならないことは、かなりの精神的ダメージがあったようで、それから容態はどんどん悪化していった。

容態が急変した8月5日の朝、母の様子がいつもと違っていて朝の薬を飲みたく無いと言い「大変なことになった」と数回つぶやいた。何が大変なのかと聞いてみても、微笑みながら同じ言葉を繰り替えす。看護士さんに来てもらおうか?と聞いたら、「看護士さんが大変だ・・・」とも。その時は寝ぼけているのだろうと思ったのだけれど、もしかしたら前日の夜、すでにお迎えが来ていたのかもしれず、本人には亡くなることが知らされていたのかもしれない。それが母との最後のまともな会話になってしまった。
翌日6日、容態は更に悪化し、医師からは危篤と言われる。横浜の姉親子を呼び寄せ、日付けが変わった7日の1時8分に永眠した。

危篤になった時には動揺し、退院なんてさせなければ、高カロリー点滴をやめなければ、まだもう少し長く生きられたかもしれないと後悔もしたのだけれど、やはり癌で家族を亡くした方の話しを聞くと、病院での死は、最後の時に間に合わない場合も多く、大抵はかなり苦しんで亡くなるそうであるから、それに比べれば母の最後はとても静かで、最後に家族みんなが会う事ができ、意識が朦朧とした状態で苦しまずに逝ったので、あれで良かったのだと今は思っている。
緩和治療をしてくださったホスピスの看護士さんと医師、在宅での看護を助けてくださったケアマネージャーさんや介護機具のレンタル会社の方、最後の入浴となってしまったが母が大好きだったお風呂に入れてくれた入浴サービスの方、入院中に優しく接してくれた看護士の皆様、みんなに感謝している。みなさんの助けなしでは、私自身何もできず、母も静かで穏やかな最後を迎えることは出来なかったでしょう。

葬儀の後、家族の誰の夢にも出てこず、ましてや気配を感じることもなく「元気で我が儘だったお母さんのことだから、49日を待つ事無く、あっという間に一番楽しかった子供時代のミヨちゃんの姿に戻って、すでに天国に逝った家族のもとに、ぱ〜っと走っていっちゃったのかもね!」「なんかキョロキョロしてね〜!おかっぱで赤いスカート履いてね!目に浮かぶね!」「そうそう!!」なんて話しを姉として笑った。

その後は、悲しんでる余裕もないほどの慌ただしさ!!母の知人への死亡通知の発送と多くの方々からの弔問と香典返しの手配、さまざまな相続の手続き、仏壇の用意と墓地探しや墓石の用意等、殆ど私一人で手続きをしてきたので、寂しさを感じることもないまま、あっという間に3ヶ月が過ぎ、そんな忙しさの中、口内炎が治らず、2年半も月1でペット病院につれて行っていた8歳の猫のハナちゃんも病気が治らないまま10月23日の朝、私一人に看取られて息を引き取った。今年3回目の小さな家族の死。

さっき庭にでたら、ヒヨドリジョウゴの赤い実が秋の日射しに輝いていた。去年はじめて庭にはえてきたヒヨドリジョウゴ。調べたら、毒草だが、漢方として癌に有効な成分がはいってると知り、煎じて母に飲ませたら治ったりして!?なんて思ったことを思い出した。
2010/11/08