2011年3月11日の地震の話前回の更新からあっという間に半年たち、季節は夏を通り過ぎて、すっかり秋になってしまった。前回の更新は3月6日で、あの大震災の5日前だった。歳がばれるが、子供の頃に体験した宮城沖地震についで、私にとっては2度目の大地震である。地震の規模的には今回の地震の方がずっと大きかったし、被害もあったのに、 不思議な事に恐怖心は昔に体験した宮城沖地震の方が私にとっては上で、今回の地震の方がライフラインの復旧にも時間がかかったにもかかわらず、記憶が薄れるのがずっと早く感じる。子供の頃に体験した地震もとても天気の良い日で、近所に住む友人宅で仲良し3人で宿題をしていた時におこった。友人の御両親も外出中で、子供だけだったから余計に恐怖を感じたのだろうか。生まれて初めて体験する大地震だったからなのか。そう考えるとここ数年は震度4クラスの地震は頻繁に起きているし、地震に対する免疫のようなものが少なからず出来ているのかもしれない。我家の場合、木造のおんぼろ屋敷きで、家族みんなが地震の度に倒壊覚悟で住んでいるのだが、地盤が固いのか、昔の宮城沖地震と同じく、食器棚の中の安物のグラスが数個割れるだけの被害ですんだ。 |
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地震がおこる前日とても印象的なUFOの夢を見た。私の部屋の前に、ちょうど左の絵のように登場したのだ。私の夢にはよくUFOが登場するのだが、今回の形の物が登場するのははじめてで、夢の中では猫型UFOということになっていて、卵のような金属のUFOから、拡声器のようなラッパのようなものが伸び出てきて、「あ!また出た!嫌だな〜」なんて思っているうちに飛びさってしまった。 | まさかとは思ったが、印象的な夢。翌日、水でも買っておこうかしらんなんて思っていたら、あの地震である。虫の知らせというか動物的な勘?というか・・・。もっと自分の直感的なものを信じた方がいいのかもしれないと思った出来事であった。
地震が起きたその時、私は部屋にいて出品物のブライスお洋服を製作中で、緊急地震速報は強い揺れとほぼ同時になり初め、揺れながら停電してTVは消えてしまった。部屋にはちょうど猫が4匹いたのだが、地震がくるまで動物の勘は働かなかったらしく、揺れ出して2匹はベットの下にすばやく隠れ、一匹はレースのカーテンと窓の間に挟まれたまま、いろいろなものが燦爛する中で、パニック状態になったが、名前を呼んだら落ち着いてじっとうずくまっており、胸に抱いた一匹は鳴きもわめきもせずにいつもどうり何ごともないかのような無反応であった。私はといえば、家が崩れる様を目に焼きつけておこうと思い、なにも落ちてこない安全なベットの上で揺れが治まるのを待っていた。 揺れが治まり家族の無事を確認後、すぐに水を確保に家を出た。近所の薬局やスーパーがすぐに対応し、水やカップラーメンなどの食料を外に出して販売してくれたので、なんとか猫たちの飲み水を確保できた。人間はお茶やコーヒーでも大丈夫だけど、猫たちはそうはいかないので、助かった。幸い我家はとてもタイミングよく、石油もポリタンクに4缶あり、食料も冷凍庫は満タンで、カップラーメンも1ケース、ペッドフードも買い置きがたくさんある状態。私的にもオークションが終了してちょうど取引が終了していたし、数日間レンタルしていた朝のレンドラも全て見てちょうど返却したところ。やきもきするようなことなく震災対応に集中することができた。 今回の地震でとても重宝したのが、弟から借りた小さいLEDライトが13個ほどついた12、3センチほどの大きさの懐中電灯だ。停電していた数日、月明かりもなく、カーテンを閉めても開けてもわからないほどの漆黒の闇状態で、もし懐中電灯を消してどこかに置いてしまったら、朝まで見つからないほどに真っ暗で、パーカーのポケットに入れて寝れるサイズのものはとても重宝した。これはぜひ家族の人数分に揃えてみんな持ち歩くべきものである。また、手回し充電タイプのラジオもよかった!!時間はものすごくかかるけれど、携帯電話の充電もできたりするのだ。 昔の宮城沖地震の際は、電話がなかなか使えずに、安否確認がとれないということがあったが、そのてんは携帯電話の普及で全く違ったところだ。電話は通じなくとも、メールは何度かチャレンジすれば送信でき、翌日には遠方の親戚や友人たちに無事を知らせることができた。ラジオで流れる津波の映像も、携帯のワンセグで確認し、衝撃を受けた。 電気は約1週間、水道は2週間、ガスの復旧には1ヶ月ほどかかり、はじめて一月入浴しないという経験もした。食料買うのに鼻をすすりながら2時間スーパーに並び、ガソリンの節約の為、大きな非常用リュックでお買い物し、なんだか戦後を彷佛とさせられたりの日々。ガスの栓を開けに来てくれたのは、滋賀県大津市のガス局から長期出張で復旧活動に来てくれているかたで、感謝で涙が出るほど嬉しかった。 半年がたち、とりあえず仙台市の私の行動範囲はすっかり震災前と変わり無く復旧した。復旧してしまうと、また物欲に火が付いて、いろいろなものが欲しくなったり、不便だった時のこと、なんだかすっかり忘れてしまっている自分がいることに気づく。今だ自分の生活に戻れない人々が大勢いるのに。2011/9/27 |
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