誕生日プレゼント

この歳になると、誕生日なるものは嬉しくもないが、誰かから贈り物を頂けるということは、幾つになっても嬉しいものだ。また、プレゼントをあげる側としても、なかなか楽しい!熟考して選んだプレゼントを開けたときの友人の顔を見るのも楽しいし、買い物をしたいが、財布状況がおもわしくない時にも、「プレゼントだからしょ
父が撮ったハチミリフィルムより
うがないよ〜」などと自分を納得させ、買い物欲求をも満足させることができるので、一石二鳥だ。また、普段の感謝の気持ちを表すのに、誕生日はなかなか有効である。突然のプレゼントは嬉しいが、なにか恐縮してしまい、「と、突然何?どうしたの?!」などと感じるものも、それが誕生日なら素直に受け取れるのではないだろうか。私はだいたい、誕生日の2週間前ぐらいからプレゼントを考慮しだす。使えるものがいいかな?それとも欲しいけど自分では
大学の時友人から頂いたカップ
買わないようなものがいいかしらん。プレゼントする友人の顔を思い描きながら、品を考える。今までいったい、いくつのプレゼントを頂き、いくつのプレゼントをしたのだろう。
自分でプレゼントを選ぶようになったのは、小学生になってからだと思う。お誕生日会に呼ばれたことを親に申告して、お小遣いをもらい、プレゼント選んでいた。誕生日にはプレゼントを贈るものと習慣づいたのは、 3つ上の姉からのプレゼントがきっかけだと思う。それは、コーヒーカップだったり、当時はやっていた"白いモンチッチ"だったり。自然に姉の誕生日にもプレゼントを贈らなくてはと思うようになり、姉との誕生日プレゼントのやりとりは、今でも続いている。
姉から贈られたお花
20代の中頃から仙台に戻るまでは、予備校時代の仲間内で、年に数回のお誕生会を開いていた。それは、誕生日を祝うというより、互いの近況を報告しあい、集まるきっかけになっていた。 仙台に戻ってからは家族の誕生日を復活させ、年に5回の誕生日を祝い、ささやかなプレゼントを用意している。歳をとっても誕生日は、それまで無事に生きて来られたというおめでたい日なのだ。プレゼントを選ぶ時間だけ、誰かが自分を思ってくれているという証しかもしれない。
友人からのマウスパッド
先日、家の近くで小学生の時に親しくしていた友人のお母さまに声をかけられた。当時、その友人の誕生日プレゼントに、手作りのレ−ス編のコースターを私がプレゼントしたらしく、それを見るたびに私のことを思い出すという。25年も大切にとっていただいていたことに感謝した。
2002/2/16
弟からの手作りパンダ
父の誕生日に焼いたケーキ